ナスカの地上絵は何故消えない!? その秘密に迫る!
ナスカの地上絵って一度くらいはどこかで見た事がありますよね。
そして、こんな素朴な疑問を抱きませんでしたか?
地上に絵を描いてるのに、何で消えずに現存してるの…?
今回はそんな疑問を解明し、ナスカの地上絵の魅力についてお話していこうと思います。
ナスカの地上絵は何故作られたの?
ナスカの地上絵は、1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見された後、後からも登場しますがドイツの数学者、マリア・ライヒェ女史とその妹がこの地に住み着き、二人を中心として地上絵の解明作業と保護が行われるようになりました。因みに描かれたのは、紀元前2世紀から6世紀までの間ではないかと言われており、正確な時期はいまだに分かっていません。
そして建てられた説が3つほどあるのですが、今の所最も有力とされているのは儀式として描かれたものではないかという仮説です。
農暦説
そのうちの一つの農暦説は、ナスカの地上絵の何本かの直線が、夏至や冬至の日の太陽の位置に一致している事、その他にも太陽の動きに関すると線が多数あることなどから、農耕の時期を農民に対して知らせるための暦として描かれたものだとする説です。
因みにこの説は、ナスカの地上絵の研究・保護で有名な、故・マリア・ライヒェ女史によって唱えられています。
公共事業説
次に公共事業説ですが、これはナスカの地上絵を描く作業の為に人夫(労働者の役割を果たす人間)を集め、その労働に対する報酬として食料を渡し、地域内の食料を人々に再配分する目的を持った公共事業として、ナスカの地上絵が描かれたという説も存在します。
儀式説
そして、最も有力とされる儀式説は、主に雨が降りにくかったナスカ地方に地上絵が描かれ、そして雨乞いの儀式のために使われたとされています。
また、ナスカの地上絵の溝の内より、内陸部のナスカでは手に入らないようなエクアドル産の貝殻、更に古代には雨乞いの儀式に用いていたとされる物品が多数、ナスカの地上絵の周辺で見つかっていることから、この説が一番有力だと支持する方が多い様ですね。
消えない理由
消えない理由には、実は様々な人の協力、そして偶々恵まれていた環境が大きく関係しているのです。
メンテナンス
まず、一番はメンテナンス。ナスカの地上絵も、放置しておけばその溝の中にゴミが溜まって見るも無残な物へと変貌してしまいます。
しかし、何故そうならないのか?
実はドイツの数学者マリア・ライヒェ女史とその妹が、ナスカの地上絵のメンテナンスを細かに行ってくれていたからなのです。
しかも、更に驚くのはそれが誰かに頼まれてや、雇われてという訳ではなく、マリア女史が20代の頃に訪れたナスカの地上絵の余りの素晴らしい姿に惹き付けられ、その研究と保存・修復に 私財を投じて打ち込む様になったのです。マリア女史は妹と共に遺跡が崩されないように毎日溝を掃除し、遠くからでも見られるような展望台の建設にも協力しました。
超乾燥状態
また、メンテナンスに加えて偶々ナスカ平原は年間雨量がわずか5ミリという、雨のほとんど降らない超乾燥状態の環境にあったからとされています。この気候が奇跡的に一万年近く続いた事も、ナスカの地上絵を存続させるのに大きな意味を持ったと言われています。
そして、描いた人が知ってか知らずか…絵自体にも秘密がありました。ナスカの地上絵を描いた線は、表面の小石を除いただけで、下の石灰質の土が白く出ているそうなのです。表面の小石は、長年太陽光線を浴びたせいで酸化し黒くなっていたのです。
それに加えて、石灰質の土は湿った空気でセメントのように固まってしまい、風化しにくいそうです。
幾多もの環境や協力者が居たからこそ、あの素晴らしい絵は後世へと受け継がれてきたのです。
終わりに
ナスカの地上絵の様に、明確に何の為に作られたかは分からないけれど存在する所謂『オーパーツ』…調べれば調べるだけ気になる点が沢山出てきますね。
何故ナスカでなければいけなかったのか、何故ナスカの地上絵以外に同じ様な絵は描かれないのか…是非皆さんもこれを読んでナスカの地上絵で気になる事を調べてみて下さい!